マンスリーレビュー

2019年12月号特集サステナビリティ食品・農業

バイオエコノミー社会で地球の課題を解決

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2019.12.1
サステナビリティ

POINT

  • バイオテクノロジーの開発・高度化、利用範囲の拡大が急速に進む。
  • 医薬・食品から素材まで資源不足の克服と環境負荷の軽減にも寄与。
  • 日本でのバイオエコノミー社会の早期実現に向け国家的な戦略を。

1.資源・環境対策にも活用できるバイオテクノロジー

地球上で人口増加と経済成長のトレンドが続く中、生産・消費活動による資源不足や環境破壊の深刻化が指摘されている。開発途上国の経済成長と生活水準の向上は、量・質両面で食料需要の変貌をもたらし、世界的にタンパク質の供給が追い付かない可能性などが懸念される。化学と物理を基盤とし、化石燃料をはじめ天然資源に大きく依存する工業化社会の生産・消費スタイルを続けるかぎり、資源の限界と自然環境の破壊という問題を避けて通ることはできない。

近年、この問題を解決する有効な手段として、生物学に由来するバイオテクノロジーが注目されている。生物を構成する細胞は、膨大な種類の分子が織りなす精巧なシステムである。これを解明して自由にシステムを設計できるようになれば、環境への負荷を軽減しつつ、資源の限界を乗り越えて人口増加や生活水準向上に対応した生産を実現できる可能性がある。例えば、セルロースナノファイバーのように高機能な素材を低価格で大量供給でき※1、微細な藻類を使って効率的に燃料を生産できれば、石油資源などを用いずに、現状と同等ないしそれ以上の商品やサービスを提供できる。

バイオテクノロジーの進化に伴い、その適用可能領域も、量と質の両面で大きく拡大する方向にある。経済協力開発機構(OECD)は、こうした技術革新の流れに乗って、世界のバイオ市場規模が2030年には約1.6兆ドル(約170兆円)に達すると予想している(図1)。バイオ市場ではかつて健康分野の比率が高く、2003年時点で市場全体の87%を占めていたが、近年のゲノム解析・編集技術の劇的な進歩を原動力として、今後は農業・食料、さらには工業の各分野も急激に伸びると予想されている。代替肉や培養肉、バイオプラスチック、スパイダーシルクのように、これまでにない性質を持った新たな素材や商品・サービスの開発に拍車が掛かるだろう。
OECDによる世界バイオ市場予測

2.多様な分野で活用可能 ── 培養肉からプラスチックまで

(1) 医療

バイオテクノロジーは医療分野での活用が先行し、医薬品開発はもちろん、遺伝子治療や再生医療などに活用されてきた。最近も、2019年6月にがんゲノム医療※2に欠かせない「がん遺伝子パネル検査」が公的医療保険の適用対象となった。

がんに関わる遺伝子に「傷」がないかを検査し、特定の遺伝子に傷がある場合、効果的な治療薬や副作用の有無を割り出す。ゲノムの部分構造を短時間・低コストで高精度に計測できるようになった結果、実用化レベルにまで到達した。症例データベースとの照合は必要だが、すでに複数の研究機関による症例データの共有化や、専門家によるソーシャルメディアやAIを活用したキュレーション※3が始まっており、デジタル技術を駆使した検査の高度化に期待がかかっている。

(2) 食料

世界の人口増加に伴うタンパク質不足への有効な解決策として、代替肉や培養肉の研究が進んでいる。「代替肉」は、大豆などの植物由来素材を加工して肉に模したものであり、味が肉に近づいているだけでなく、本物の肉に比べて心疾患のリスクを高める成分が少ないというプラスの面も有する。現段階でも比較的安価に提供できるため、リーズナブルな値段で市場に投入されている。

一方、「培養肉」は、動物細胞を食肉のレベルまで培養する技術であり、完璧な肉の食感を実現するものとして注目されている。日本の細胞培養や細胞組織構築の技術は、iPS細胞の培養法を確立できたことが示すとおり、国際的にも先行している。現在、日本企業を含む10数社が培養細胞を用いた食肉生産開発を進めており、培養技術のコアとなる生命現象を自由に設計できるようになれば、培養肉が食卓に上る日も近づく。培養に必要な細胞由来成分である成長因子や血清が高価なため、筋細胞の大量培養などによる生産コスト低減が当面の課題である。

(3) プラスチック

海洋流出したプラスチックが微細化されて有害物質を取り込み、魚や貝類への蓄積を通じて生態系に及ぼす悪影響が危惧される中、生物資源由来の合成樹脂で地球環境にも優しいバイオプラスチック市場※4は、今後飛躍的な拡大が見込める。北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)が、微生物機能を用いて軽量で耐熱性の高いバイオプラスチック素材を開発しており、将来は金属資源を代替できる可能性もある。

2016年には、ペットボトルの原料であるPET(ポリエチレンテレフタラート)を分解する菌を、京都工芸繊維大学、慶應義塾大学、帝人などの研究グループが発見した。約1カ月でPETを二酸化炭素と水に分解する。「ペットボトルを食べる菌」として、リサイクル促進の立役者になることが期待されている。

(4) 新素材

素材関連では、カネカが微生物を発酵させるプロセスによって生産するポリマー(高分子化合物)を開発した。植物油などを原料としているため、自然界に存在する多くの微生物によって分解され最終的には二酸化炭素と水になる点で、環境保護の効果は大きい。すでに実証生産の設備を保有しており、食品の包装材、農業・土木資材や海洋資材といった幅広い用途への利用が期待されている。

さらに、クモの糸に似た、柔らかい風合いと非常に強靱(きょうじん)な性質を併せもつ素材を大量生産する技術も開発されている。この糸は「スパイダーシルク」と呼ばれ世界的に研究・開発が進められているが、日本のベンチャー企業Spiber(山形県鶴岡市)が量産にこぎ着け、衣類や自動車の部材などに使われようとしている。同社では、繊維の分子構造や微生物の遺伝情報を解析し、微生物を改変するなどして、さらなる繊維の機能性向上と生産プロセスの効率化を進めている。

3.バイオテクノロジー活用促進への課題

資源不足や環境破壊など世界規模の課題の解決には、これらのバイオテクノロジーを幅広い分野で応用したバイオエコノミー社会を実現することが求められる。

活用促進に向けた課題の一つは、バイオテクノロジーに基づく商品が既存製品に比べ依然として高コストなため、市場競争力が低いことである。今後、量販店で配られるレジ袋や食品のプラスチック容器、ペットボトル、自動車のパーツや建築素材などに対し、バイオプラスチックなどの環境に優しい素材に対する優遇を図る一方、環境負荷の高い既存製品への利用制限やコスト賦課などを組み合わせることで、バイオテクノロジーの研究・開発、さらには産業化を加速することが考えられる。

また、生物機能を活用したモノづくりやサービスを促進するには、「モノ」と「ツール」の両方が欠かせない。モノには、有用物質を生産する機能をもつ微生物などがある。ツールの代表例「CRISPR-Cas9」は、ゲノム配列の任意の場所を削除、置換、挿入して生物の精巧な機能の自由な設計を可能にする新しい遺伝子改変技術である。アカデミア、研究フェーズでは、モノもツールも比較的活用しやすい環境にあるが、民間企業が商用利用を行う場合には高額なロイヤルティーを請求される。例えばCRISPR-Cas9は、特許が一部の開発機関に囲い込まれていることや基本特許の権利の分掌が流動的だったことでライセンス交渉が停滞し、医薬・化学品、食品などの開発や商品化への制約要因となっている。

民間の競争は維持しつつも、汎用性の高いモノやツールは、先行者利益を確保しつつ協調領域に位置づけることで、バイオエコノミー社会の実現を加速させることができると考えられる(図2)。
[図2] バイオ産業化を加速する仕組み

4.日本が取り組むべき方向

2019年6月に政府が公表した「バイオ戦略2019」では、2030年に世界最先端のバイオエコノミー社会を実現するとしている。基本方針として「①市場領域設定・バックキャスト・継続的なコミット、②バイオとデジタルの融合、③国際拠点化・地域ネットワーク化・投資促進、④国際戦略の強化、⑤倫理的・法的・社会的問題への対応」が掲げられた。だが、その取り組みの本格的・具体的な検討はこれからである。

一方、欧米や一部のアジア諸国は、各国の特徴を活かした「バイオエコノミー戦略」を策定し、具体的な施策に着手している。欧州諸国は、食生産システム構築に向けた資源循環モデルを構築しており、今後、技術開発や産業化を推進すると予想される。規制の面でも、バイオプラスチックを除くレジ袋の利用制限(欧州)、連邦政府調達におけるバイオ由来製品義務化(米国)などがある。財政負担を伴わず、環境負荷の軽減、持続可能な社会を実現する仕組みは、わが国も早急に取り組むべきであろう。

バイオテクノロジーに関する日本の強みは、「モノ」である微生物やその他生物リソースを国立の研究機関やアカデミアが、体系的に整理して保管していることだ。これらを有効に活用することで、例えば栄養を強化した食品や日本の伝統的な発酵食品の生産、微生物を利用したエネルギー、バイオプラスチックなどを比較的短期間で産業化できる可能性がある。産官学の関係者が協力・協調して、関連特許群の共有化、国際的なクロスライセンス、プロセス標準化などの流れを醸成し、バイオエコノミー社会の早期実現への道を開くことが期待される。
 

※1:経済産業省「バイオテクノロジーが生み出す新たな潮流」(2017年2月)。     
https://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/juyoukadai/nourin/5kai/siryo3.pdf

※2:がん細胞のゲノムを検査することで適切な治療薬を処方する治療法。

※3:情報を選択して集めた上で整理すること。または収集した情報を編集して新たな意味や価値を付与する作業を指す。

※4:バイオプラスチックは「生分解性プラスチック」と「バイオマスプラスチック」の総称。生分解性プラスチックは通常のプラスチックと同様の耐久性を持ち、使用後は自然界に存在する微生物の働きで最終的に二酸化炭素と水に完全に分解される。バイオマスプラスチックは再生可能なバイオマス資源を原料としている。