マンスリーレビュー

2020年5月号特集デジタル・イノベーション経済・社会・研究開発

人間・生命拡張技術の先に新しい人類は生まれるか

同じ月のマンスリーレビュー

タグから探す

2020.5.1
デジタル・イノベーション

POINT

  • 拡張技術は「脳」「身体」「人と人との間」の限界を超えつつある。
  • 痛み・苦しみ・誤解など「嫌なこと」が減りアクティブな世界が近づく。
  • 正しく、賢く使う知恵を働かせて豊かな未来社会を実現。

1.急速な進化を遂げる拡張技術

人類は自らの能力と身体・生命を拡張することを望み、技術を駆使してさまざまな限界を突破してきた。100歳まで生きることが夢から現実に近づくとともに、そこに至る人生を健康で豊かなものに変える技術が多くの分野で急速な進化を遂げ、実用化に向かいつつある。AI、情報技術、脳科学、再生医療、バイオテクノロジーなど飛躍的発展を続ける技術を総称して「人間・生命拡張技術※1」(以下、拡張技術)と呼ぶ。

健康寿命を延ばす、老化を遅らせる、身体機能を高める、新たなコミュニケーションを創出するなど、個人の「脳」「身体」に加えて「人と人との間」の面でも画期的な変貌(トランスフォーメーション)が予想される。明るい展望を描く材料には事欠かない。問題は、拡張技術がもたらす新たな現実を個人にとどめず社会の豊かさに結びつけること、ここにも人類の英知を集め、解を見いだしていくことが期待される。

拡張技術は、その要素と適用領域の組み合わせにより、大きく三つのエリアにくくることができる。第一は、AIなどデジタル技術を起点として「脳」を拡張する分野。第二は、バイオテクノロジーを起点とする「身体」の拡張、健康寿命の延伸をもたらす分野。そして第三は、「人と人との間」を拡張・変容させるコミュニケーションの分野である。以下では、これらの頭文字(D、B、C)とトランスフォーメーション(X)を組み合わせてDX技術、BX技術、CX技術と略称し、新たな人類の姿が垣間見られる例を紹介する。

2.「脳」の拡張:デジタルトランスフォーメーション(DX)技術

画像認識、音声認識、自動運転をはじめあらゆる分野でAIが活用され実装されているが、ここではそうした「特化型AI」ではなく、人類の脳の一部を代替する拡張技術、未知の領域に踏み込む「汎用AI」に注目したい。

汎用AI実用化の時期はまだ明確に見通せないが、近年、機械学習や神経科学の研究進展はめざましく、人間同様、あるいは人間を超える知的能力さえもつものになると期待されている。AIによって人間は煩雑な作業から解放される一方で、高度な思考力や判断力が求められ、AIを主体的に使いこなせるようになる必要がある。

誤解のないよう確認しておくと、それは発達した汎用AIに人間が支配されるということではない。AIがどれだけ進化したとしても、AIに目標を与え用途を規定する最終的な判断は人に委ねられる。人は今以上に倫理観を問われ、汎用AIの誤用・悪用による災厄を回避・制御する知恵をめぐらす。その対策にもAIを有効に活用する。

3.「身体」「生命」の拡張:バイオテックトランスフォーメーション(BX)技術

「いつまでも若く、健康でいたい」という人類の究極の願いをかなえる技術である。ただし、「不死」の技術や、人間が空を飛んだり、瞬間移動できたりするなどのSF的な身体拡張技術は、まだ実現のめどが立つところまできていない。

進化が最も著しく、手に届く技術としては再生医療がある。患者の細胞から作製したiPS細胞やES細胞をマウスなど別の動物の体内で臓器に育てて患者の身体に移植する研究が進められている。3Dプリンターでさまざまな組織を生成する技術も、臨床実験のフェーズに入り実用化目前だ。これらの技術は、患者自身の細胞を材料とするためドナーが不要であり、移植時の拒絶反応も発生しにくい。臓器移植しか治療法のなかった患者にも光明が見えつつある。

老化防止(アンチエイジング)の技術の一例として、ブドウ糖や果糖と極めてよく似た構造をもつ自然界由来の甘味料「希少糖」の活用がある。低カロリーであるとともに、血糖値や血圧の上昇を抑えるなど多様な効用があることが分かってきた。量産化の技術も確立されており、食品、医療、美容などでの活用が期待される。絶対に替えが利かない臓器とされる脳でも、動物実験で神経組織の再生が確認されている。将来は、脳の老化すら止められるかもしれない。

4.「人と人との間」を拡張:コミュニケーショントランスフォーメーション(CX)技術

人と人との間、つまりコミュニケーションを円滑にすることで、その量と質を拡張・変容させる技術だ。AIを用いた支援ツールと感情の可視化が注目される。

支援ツールでは、会議の議事録を自動的に作成するAIソフト、人間の会話・応対を代行する「AIチャットボット」がすでに社会実装されている。現在は、あらかじめ想定された発話に受動的に対応するチャットボットが主流だが、会話の背景なども踏まえて能動的な「会話」ができるAIの研究も進んでいる。

感情を可視化するツールの例としては、「感性アナライザ」が挙げられる。脳波のサンプル分析から「感情」を読み取ろうとする技術だ。これまでSF的な空想でしかなかった「テレパシー」や「サトラレ」が現実になろうとしている。主観的にしか推測できなかった感情が客観的に可視化されれば、対人関係でのミスコミュニケーションは大きく減る可能性がある。相手の心が分かれば、それに合わせた準備もできるだろう。誤解やすれ違いが減り、対人ストレスや「不機嫌」が消える社会も夢ではない。

5.拡張技術がもたらす豊かな未来

拡張技術が進展し社会のさまざまなシーンに実装されることで、未来の人間は時間、体力、ノウハウ、つながりに満ちたアクティブな暮らしを営むことができる。

DX技術の中軸となる汎用AIによって労働代替が進む一方、ビッグデータを活用したデジタル教育も普及すれば、人間はどんな分野でも短期間で一定レベルのノウハウを習得できるようになる。結果、知的活動の中心は、複雑な社会的合意形成や重要な意思決定、そしてまったく新しいものの創造へとシフトするだろう。AIの進化、DX技術の浸透が人間の進化を助ける好循環が生まれる。

BX技術によって健康寿命が延びれば、人生の活動総量が増え、それが体力の増強にも結びつくことが期待できる。医療技術の進歩で、がんなどの重い病気にかかっても、治って健康体に戻れる確率はすでに急上昇している。人工子宮を活用することで、出産の痛みやリスクからも解放される。

CX技術の進化で誤解やすれ違いが起きにくくなると、不機嫌やあつれきは大きく減るだろう。さらにVRやARを活用すれば、距離や文化の壁を越え、さまざまなタイプの人々やコミュニティーと、より広範につながることが可能になる。

身体的にも感情的にも「嫌なこと」が減り、社会全体に余裕が行きわたれば、どんなジャンルにもチャレンジしやすくなり、活力やコミュニケーションも向上する。結果として、多種多様なコミュニティーやイノベーションの増加が起きるに違いない(表)。
[表] 主な人間・生命拡張技術

6.豊かな未来社会を確実なものとするために

ただし、拡張技術によって期待どおり豊かで持続的な未来社会が実現されるためには、それが正しく、賢く、皆が納得するかたちで使われることが前提である。そこはAIではなく人間がしっかり知恵を働かせなければならない領域だ。

DX技術の大きな課題の一つに適切な情報利用と管理があげられる。例えば新型コロナウイルスの感染拡大防止には、人の行動に関するビッグデータを活用することが有益である。だが、一歩間違えると、監視社会になってしまう。拡張技術の進化によって、人の行動だけでなく、意識や感情までも計測できるようになれば、プラットフォーマーや政府が個人のデータをどう扱うか、そのルールや制御方法も慎重に設計されなければならないであろう。そのルールづくりも、政治家や専門家に任せるのではなく、DX技術を活用して市民全般が参画できるような仕組みとするのが望ましい。

拡張技術の恩恵が一部に偏り、所得や健康の格差を拡大させてしまうリスクもしばしば指摘される。確かに、最初はひと握りの富裕層だけが技術革新のメリットを享受するのは世の常である。しかし、携帯電話の例にもみられるように、いったん普及が始まれば価格は急激に下がり、地球上のほぼ全員に短期間で行きわたるであろう。

7.痛み・苦しみ・誤解のない世界と人間らしさの両立

また、生身の身体をもつ人間にとって、高度化したBX技術で痛みなどの「嫌なこと」を無限に減らすことが、本当の幸福感、達成感と一致するかという懸念も残る。痛みや不自由があるからこそ、それから逃れた幸福感を強く実感できるという面もあろう。同様に、CX技術の進化も、誤解やすれ違いがなくなるという利点の半面、「理解できない」「共感できない」という曖昧な部分が解消されることは、そこを都合よく解釈して「美しい誤解」を成立させていたバッファーを失うことも意味する。

技術の進化が、身体感覚がもたらす幸福を期せずして減らしてしまうというのは皮肉な巡り合わせだが、技術進化がもたらす未来人の「新しい孤独」とも考えられる。デジタル技術と人間の身体的感覚の共有・共感は、次代の大きな課題であるとともに、イノベーションのリソースを振り向けるべき領域になるのではないか。

8.「13番目の人類」か

100億人が100歳まで生きることのできる豊かで持続可能な未来社会を実現するには、個人、社会全体さらには将来世代に、物量や経済を超えた真の幸福感を行きわたらせることが求められる。拡張技術の進化は、これらを可能にする必要条件ではあるが、これを十分条件とするためには、もう少し時間と知恵が必要だろう。

人類の歴史の中で、われわれホモサピエンスは最も初期の猿人から数えて「12番目の人類」にあたるとされる。人間の限界を突破する人間・生命拡張技術が正しく開花すれば、新しい「13番目の人類」が生まれる可能性もある。

バックナンバー

関連するナレッジ・コラム

もっと見る
閉じる