コラム

MRIトレンドレビューエネルギー・サステナビリティ・食農

注目される「自然資本」と金融機関

自然資本喪失の経済的影響と対応の方向性

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2023.11.8

金融コンサルティング本部早野莉佳子

エネルギー・サステナビリティ・食農
昨今、「気候変動」に次いで注目される「自然資本」への対応。自然環境は企業活動の基盤であり、さまざまな業種と取引している金融機関にとっても他人ごとではない。金融機関は取引先のマテリアリティを整理したうえで、取引先にとっての自然資本の位置付けを把握することが第一歩だ。

「自然資本」とは何か? 経済的な関係は?

近年、自然環境は事業活動を支える資本の1つであるという考え方(=「自然資本」)が主流となりつつある。自然資本は森林、土壌、水、大気、生物多様性、生物資源など自然によって形成される資本全体を指し、ビジネスや社会を支えている。その自然資本や生物多様性が損失されるとなれば、経済や金融セクター、ひいては経済成長に対する深刻なリスクとなる。リスクの範囲は多岐にわたる。食料・土地・海洋の利用、インフラ・建設、エネルギー・採取活動などさまざまな産業が自然資本に依存・影響している。これらの領域で世界GDPの半分以上である年間44兆ドルの価値創造がなされていることを考えれば、自然資本への対応にどれほどのインパクトがあるか想像いただけるだろう※1

例えば、食品産業は自然資本に直接依存・影響している産業の1つである。食品産業と自然資本の関わりをより具体的に見ると、「①産業特性としての依存・影響」「②気候変動を通じた依存・影響」「③生物多様性を通じた依存・影響」の3点があげられる。

①産業特性としての依存・影響

食品産業はその特性上、土地利用、直接採取など、広く自然資本に依存し成立している。「2031年における世界食糧需給の見通し」(農林水産政策研究所)※2によれば、耕作物から畜産物まで全ての食料需給が現在と比較して2031年まで増加傾向にあり、食品産業による自然資本への依存は今後さらに高まることが予想される。

②気候変動を通じた依存・影響

食料産業による温室効果ガス排出は世界の温室効果ガスの26%を占めている。さらに、温室効果ガスの増加に伴い、異常気象がさらに頻発することで、農作物の生産性が低下する、といった負の循環も生まれている。

③生物多様性を通じた依存・影響

食料生産の増加に伴い、農地・牧草地の拡大が必要となる。このことが最大の生物多様性の損失要因になっている。

このように、食料産業などいくつかの産業による自然資本への依存・影響が続けば、将来的に他の産業も含め広範に影響が及ぶ可能性がある。

食品産業以外で自然資本に依存している代表的な産業として製造業が上げられる。製造業の原料となる資源の採掘・伐採は自然資本に依存しているからだ。採掘・伐採量に上限がある上、採掘することで採掘場の生態系のかく乱による災害の拡大などが発生すれば、生産自体が困難になる可能性もある。

こうした影響は、特に所得の低い国で大きい。低所得国や中低所得国※3では、GDPを農林水産業に依存しているため将来的に自然資本の損失による経済的影響が大きく、森林・受粉・海洋・その他(一般的な経済成長・人口規模・分野別効率性)を考慮したシナリオだと、低所得国で最大10%もGDPが下がるとの試算もある※4(図1)。
図1 生態系の部分的崩壊シナリオにおける2030年の実質GDPの変化
(転換点なしシナリオとの比較)
生態系の部分的崩壊シナリオにおける2030年の実質GDPの変化(転換点なしシナリオとの比較)
出所:The World Bank Group, "The Economic Case for Nature" (2021年)より三菱総合研究所作成
https://openknowledge.worldbank.org/entities/publication/fcc11682-c752-51c4-a59f-0ab5cd40dc6f(閲覧日:2023年9月14日)

日本は自然資本への経済的依存度が高い

低~中所得国と比較すると、日本は自然資本への依存度は低いものの、グローバル・コモンズ・スチュワードシップ(GCS)指標※5で比較すると(図2)、先進国の中では米国、ロシアについで総合スコアで3番目(絶対量ベース)に環境への負荷が高い。さらに輸入等国外に波及する環境への負の影響は2番目(絶対量ベース)となる。中でもエアロゾル、陸の生物多様性、海洋の生物多様性、資源循環、水資源循環の国外への影響が大きい。
図2 グローバル・コモンズ・スチュワードシップ指標(絶対量)
グローバル・コモンズ・スチュワードシップ指標(絶対量)
出所:「グローバル・コモンズ・スチュワードシップ(GCS)指標 2022年版」(SDSN, Yale Center for Environmental Law & Policy, and Center for Global Commons at the University of Tokyo)より三菱総合研究所作成
https://cgc.ifi.u-tokyo.ac.jp/resources/(閲覧日:2023年9月14日)

日本の金融機関の自然資本対応

生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)の「昆明・モントリオール2030年目標」のターゲット15ではビジネスによる影響評価・情報公開の促進が掲げられ、ビジネスが自然資本に与える影響の評価・情報公開が進みつつある。こうしたリスクや機会の開示の枠組みとして、自然関連財務情報タスクフォース(TNFD)の最終提言が2023年9月に発表された。

気候変動と同様に多くの企業に投融資する金融機関は、ポートフォリオを介して多様な自然資本リスクにさらされている。また気候変動の分野では、金融機関が資金の流れをコントロールできる立場にあり、ネットゼロへの移行の推進役となっている。自然資本分野でも、同様の役割が求められる可能性は高い。実際、TNFDの最終提言(v1.0)では、金融機関向けに補足ガイダンスが発行されるなど、金融機関への期待は大きい。

こうした中、日本の金融機関が自然資本に対応する状況をみると、三井住友フィナンシャルグループ(SMBC)が先駆けてTNFDレポートを発行。SMBCでの自然資本に関連するリスクを「生物多様性を含む自然資本の喪失が、リスクの増加や保有する金融資産の価値毀損など、金融グループとしての幅広い事業活動に潜在的な影響力を有する可能性がある」と捉え、さらに気候変動との関わりについても整理している。

レポート内ではTNFDの項目であるガバナンス・戦略・リスク管理・指標と目標について開示するとともに、融資業務を通じた森林・生物多様性への影響評価を試行的に分析しており、具体的な分析結果については次年度以降に開示されると予想される※6。農林中央金庫でも、洋上風力発電のプロジェクトファイナンスを対象としたTNFDが推奨するリスク・機会評価アプローチ(LEAP)や、農林中央金庫のポートフォリオにおける自然資本の依存・影響を分析している※7

その他のメガバンクでは、MUFG、みずほFGはTNFDレポートという形での開示は行っていないが、いずれもTNFDフォーラムへ参画済みであり、将来的な開示に向けた検討が進んでいると考えられる。

TNFDとTCFDのインパクトの差は?

気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)の次のテーマとして挙げられることも多いTNFDだが、実態としてどの程度のインパクトが生じうるかを明らかにすることは難しい。そのため、その要因をTCFDの場合と比較しつつ、いくつかの視点で整理したい。

第1は現時点でどの程度の損害が実際に生じているか。まずTCFDをはじめとした気候変動対応・開示では、例えばハリケーンや山火事などといった自然災害に伴う被害が年々増加していることがしばしば指摘される※8。米国のハリケーンや山火事、欧州での熱波や山火事をはじめ世界中で極端現象(極端な高温、低温や強い雨など、特定の指標を越える気象現象)の発生が実際に増加しており、それが既に保険や企業の株価に影響を及ぼしている。気候変動に対して投資家が真剣にエンゲージする背景の1つはそこにある。経済への影響を考慮すれば、地球上にいるすべての人にとって、気候変動問題は対岸の火事ではないのである。一方、TNFDをはじめとした自然資本対応・開示については、生態系の破壊や森林面積の減少は目に見える形で起こっているものの、それが経済を介してどこかの企業の財務諸表に影響を及ぼしたケースは必ずしも多くない。この点について、TCFDは自然災害の直接的な原因の1つであるのに対し、TNFDは自然災害を緩和する機能を持つ、すなわち自然資本減少が自然災害増加の間接的な原因であるため、財務諸表への影響が見えにくいからである。

第2に影響を受ける地域がどこであるか。TCFDでは欧米や日本をはじめとした世界全体が等しく影響を受けている。資産価値が高い国において物理的リスクや移行リスクが目に見える形になれば、当然ながら株価の毀損や企業の倒産に備えるための引当金も額が大きくなり、経済的なインパクトは大きくなる。一方、TNFDでは、被害を受ける国はその多くが熱帯雨林を有する東南アジアや中南米などの新興国だ。こうした国を株式市場の時価総額の面などでみると先進国よりも大幅に小さいが、グローバルサプライチェーンへの影響は無視できないという問題が新たに生じる。

第3はマテリアリティとして何を対象とするか。TCFDや国際的な会計基準である国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)では、気候変動に伴う企業の財務諸表への影響を分析することが旨とされており、これは「シングルマテリアリティ」と呼ばれる。一方のTNFDでは、企業活動において依存している自然資本が毀損するなどといった「自然資本が企業に与える影響」を評価するだけでなく、「企業が自然資本に影響を与える影響」も評価する「ダブルマテリアリティ」の考え方が一般的である。欧州はダブルマテリアリティの考えを採用する傾向が強く、それに米国や日本などが対抗する構図はよく見られるが、ダブルマテリアリティを前提とした基準をどこまで米国や日本が取り込むかは議論が必要となろう。

第4に管理の実効性は高いか。TCFDは二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスの排出という極めてシンプルな指標を用いればよいため、基準を作る側、使う側双方にとって大筋で迷いは生じにくい。一方、TNFDでは、生物種、森林、水といった多様な自然資本それぞれに対して指標を構築する必要があり、基準を使う側となる一般企業では特に、担当者のリテラシー向上に多くのコストがかかる。

このようにTNFDのインパクトを計測するのは難しい。しかし難しいからといって、そこに手を付けずTNFDを軽視することでよいのだろうか。

サステナビリティ全体を俯瞰した取引先のマテリアリティ整理を

結論から言うと、少なくとも金融機関において、無関心では経営が成り立たない。金融機関は投融資のユニバースが極めて広大であるため、取引先によってはTCFDよりもTNFDの方がマテリアルとなる企業も少なくない。重要な視点は、金融機関は「気候変動」や「自然資本」などのように個別の課題で区切って取引先を見るのではなく、サステナビリティに係る論点すべてを整理したうえで、どのセクター、さらにはどの取引先では、どのサステナビリティ課題がマテリアルとなるか——といった視点でポートフォリオ全体を眺め直すべきということだ。

ISSBでは今まさに次に検討すべきサステナビリティ課題に関する意見募集がなされており、一部の投資家連合からは人的資本や人権に関する要望が届いているとされる。「気候変動に加えて自然資本、さらには人的資本も考えなければいけないのか」と嘆くのではなく、長期的な目線で考えたとき、取引先企業の広義の持続可能性を高める上で重要な論点を正面から考えれば、取引先それぞれにとって最適な課題が可視化されるだろう。気候変動も自然資本も人的資本もそれぞれ独立した論点ではなく、いずれも企業の事業活動や社会全体の活動を通してつながっている概念だ。取引先全体の持続可能性を考えていく中で、自行の取引先にとって自然資本はどのように位置付けられるかを考えてみるのが第一歩となろう。

※1:WORLD ECONOMIC FORUM, "Nature Risk Rising: Why the Crisis Engulfing Nature Matters for Business and the Economy" (January 2020)
https://www3.weforum.org/docs/WEF_New_Nature_Economy_Report_2020.pdf(閲覧日:2023年11月6日)

※2:農林水産政策研究所「2031年における世界食糧需給見通し」
https://www.maff.go.jp/j/zyukyu/jki/j_zyukyu_mitosi/index.html(閲覧日:2023年11月6日)

※3:2019年の1人当たりGNIを米ドルで算出。
低所得国:$1,036未満、低中所得国:$1,036 - $4,045、中高所得国:$4,046 - 12,535、高所得国:$12,535超。

※4:The World Bank Group, "The Economic Case for Nature" (June 2021)
https://openknowledge.worldbank.org/entities/publication/fcc11682-c752-51c4-a59f-0ab5cd40dc6f(閲覧日:2023年11月6日)

※5:「グローバル・コモンズ・スチュワードシップ(GCS)指標 2022年版」(SDSN, Yale Center for Environmental Law & Policy, and Center for Global Commons at the University of Tokyo)
貿易データや環境研究および産業生態学などの知見や技術を駆使し、各国が経済活動によりグローバル・コモンズに与える国内および国外での環境負荷についてのスコア、低いほど環境負荷が高い。
https://cgc.ifi.u-tokyo.ac.jp/resources/(閲覧日:2023年11月6日)

※6:三井住友フィナンシャルグループ「SMBCグループ 2023 TNFDレポート」
https://www.smfg.co.jp/sustainability/materiality/environment/naturalcapital/(閲覧日:2023年11月6日)

※7:農林中央金庫「自然資本・生物多様性」
https://www.nochubank.or.jp/sustainability/environment/nature/(閲覧日:2023年11月6日)

※8:NOAA Climate.gov "United States Billion-Dollar Disaster Events 1980-2021(CPI-Adjusted)"
https://www.climate.gov/media/13979(閲覧日:2023年11月6日)

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