コラム

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カーボンニュートラル社会に向けた長期戦略の重要性

TCFD対応を契機に

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2021.8.23

サステナビリティ本部笹野百花

環境・エネルギートピックス

カーボンニュートラルの広がり

温室効果ガス排出を全体としてゼロにする「カーボンニュートラル」※1を目指す潮流が世界中に広まっている。2021年1月現在、2050年のカーボンニュートラルに賛同している国は、124カ国・1地域にのぼる。日本でも、2020年10月、菅総理が「2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指す」ことを宣言した。政府のこうした動きを受けて、日本の民間企業にもカーボンニュートラル社会に向けた対応が求められている。

民間企業がカーボンニュートラル社会に向けた対応をする際、自社事業のCO2削減対策を実施するのみでは不十分である。なぜならば、あらゆるステークホルダーがカーボンニュートラルを目指す社会になれば、自社事業の範囲のみならず、原材料の調達段階や販売した製品の使用段階など、サプライチェーン全体での脱炭素化が求められるようになるからだ。例えば、炭素税の導入により原材料の調達コストが増加するリスクや、製品の環境配慮性能によって需要が増減するリスク・機会などが発生することが想定される。

また、海外で事業を展開する企業は、海外の動向を踏まえたリスク・機会の把握も必要だ。例えば、2021年7月、欧州委員会は、欧州より多い炭素排出量で製造された輸入品に対して国境炭素税を課す「国境炭素調整措置案」を発表した。現時点の対象は、特にカーボンリーケージ※2のリスクの高い品目(鉄鋼製品、セメントなど)に限定されているが、今後対象が拡大すれば、欧州市場向けに輸出を行っている産業・企業の負担が増大する可能性がある。

TCFD提言活用の企業への有効性

カーボンニュートラルが自社にもたらすリスク・機会を可視化する際に活用できる枠組みが、気候関連財務情報開示タスクフォース(以下、TCFD)の提言である。TCFDは、金融安定理事会(FSB)の作業部会であり、気候関連の財務情報開示を企業等へ促す民間主導のタスクフォースである。TCFD提言は、企業が気候変動に関し、ガバナンス、戦略(シナリオ分析)、リスク管理、指標と目標を検討し、情報開示することを求めている。

このうち戦略(シナリオ分析)において企業は、気候関連のリスクと機会を把握し、気候変動シナリオに応じた事業・財務への影響を試算して対応策を検討することが求められる。気候変動シナリオの設定は各企業に任されているが、2050年カーボンニュートラル社会を目指すシナリオと整合的と言われる、1.5℃シナリオ(強い気候変動緩和策を講じることにより世界の平均気温上昇を産業革命以前に比べて1.5℃に抑えるシナリオ)に沿ってリスク・機会を検討することで、2050年にカーボンニュートラルを目指す社会における自社のリスク・機会を把握できる※3

TCFD対応を長期戦略につなげる —開示のための開示で終わらせない—

2021年6月、東京証券取引所は、コーポレートガバナンス・コードを改訂し、公表した。コーポレートガバナンス・コードは、実効的なコーポレートガバナンスの実現に資する主要な原則を取りまとめたものである。今回の改訂にあたり、気候変動に関する情報開示について、東証第一部に代わる新区分である「プライム市場」に上場する企業は、TCFDまたはそれと同等の枠組みに基づく開示の質と量の充実を進めるべきとの原則が盛り込まれた。

これにより、2022年4月の東証市場の再編後、プライム市場に上場する企業は、TCFD提言に基づいた情報開示に関し、Comply or Explain(遵守する、もしくは遵守しない理由を説明すること)に対応する必要がある。現在はこの改訂をきっかけに、TCFD対応を急ぐ企業が一段と増えている。気候変動が自社の非財務分野の優先課題であるならば、TCFDへの賛同と開示は待ったなしだ。

各企業は、情報開示を目下の課題として、シナリオ分析などに尽力していると想定される。TCFD賛同後初めての開示では、検討可能な範囲での分析と情報開示も、投資家との対話を活性化させる観点では非常に重要と言える。

その上で、各企業にとって本質的に重要なのは、TCFD対応を契機に、カーボンニュートラル社会に向けた長期戦略に関する検討を、経営層と現場が一体となって開始することである。具体的には、2050年のカーボンニュートラル社会の実現に向けて自社が目指す将来像を検討し、そこからバックキャスティングで各年代に実行すべき施策を並べたロードマップを策定するのである。例えば、サプライチェーン全体におけるCO2排出量の大胆な削減や、カーボンニュートラル社会に求められる新規事業の創出のためのロードマップづくりを検討する必要があるだろう(図1・2)。
図1 カーボンニュートラル社会に向けたロードマップ(イメージ)
カーボンニュートラル社会に向けたロードマップ(イメージ)
出所:三菱総合研究所
図2 カーボンニュートラル社会に向けた長期戦略・ロードマップを示す企業の事例
カーボンニュートラル社会に向けた長期戦略・ロードマップを示す企業の事例
出所:各社ウェブサイト(下記)を基に、三菱総合研究所作成。いずれも閲覧日は2021年8月10日。
日本製鉄 https://www.nipponsteel.com/ir/library/pdf/20210330_ZC.pdf
フォルクスワーゲン https://www.volkswagenag.com/en/news/2021/04/way-to-zero--volkswagen-presents-roadmap-for-climate-neutral-mob.html
ネスレ https://www.nestle.com/sites/default/files/2020-12/nestle-net-zero-roadmap-en.pdf
大きな事業転換は準備に長い時間がかかるため、早期に検討を開始すれば、技術の開発や試験的運用に時間をとれるなどのメリットが生じる。直近の3~5年で実施すべき施策が特定し、評価指標(KPI)を設定して中期経営計画などの足元の戦略に落とし込むことも必要だ。

日本企業は気候変動をリスクと捉える傾向が強いが、欧州ではEUタクソノミー規則※4の施行などにより、気候変動への対応を成長の源泉としようとする潮流が強い。そう考えれば、TCFD提言を単に投資家に対する情報開示のツールと捉えているのはあまりにもったいない。TCFD対応はあくまで自社成長の契機であり、その先の長期戦略を描くことが重要であることを認識すべきだ。

※1:CO2などの温室効果ガスの排出量から、森林などによる吸収量を差し引いた、正味の温室効果ガス排出量がゼロとなる状態。

※2:気候変動に関する規制を導入している先進国において、企業がその生産拠点を排出制約の少ない他国に移転する状況。結果として地球全体の温室効果ガスの排出の減少を妨げるリスクにつながる。

※3:2021年8月9日に発表された、IPCCの第6次評価報告書(AR6)によれば、世界の平均気温上昇を1.5℃に抑えるシナリオ「SSP1-1.9」では、2050年付近にて、世界の正味のCO2排出量がゼロとなっている。

※4:持続可能な経済活動に関する基準を定める規則。基準に適合する分野に対する投資を加速させ、EUの産業競争力を高める狙いがあるとされる。2020年6月に欧州議会で可決、2020年7月に施行。

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