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VUCAの時代 あなたは生き抜けるか?人材

第5回:「学習」とは何か

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2023.3.15

キャリア・イノベーション本部奥村隆一

VUCAの時代 あなたは生き抜けるか?

知識をインプットする行為が真の「学習」なのか

「リスキリング(Re-skilling)」という言葉が流行っている。2022年10月3日の臨時国会の所信表明演説の中で岸田首相がこの語を用いたことで、話題として取り上げられる機会も増えた。そもそもは、「2030年までに10億人のリスキルを実現する」こと(いわゆる「リスキリング革命」)が提唱された2020年のダボス会議がきっかけであろう。リスキリングとは「新しい職業に就くために、あるいは、今の職業で必要とされるスキルの大幅な変化に適応するために、必要なスキルを獲得する/させること」を意味する※1

スキル獲得を通じた人的資本形成の重要性は論をまたない。ただし、この概念は「学び直し」の一側面を強調し、もう一側面を軽視してしまう恐れがあることに留意が必要である。詳細は後述するが、学習という行為にはインプットに加えてアウトプットが重要である。そこでまずは、社会人の学びにとって「他者」がいかなる意味を持つのかについて考えてみたい。

はじめに、皆さんに次の質問をしたい。

「学習とは、新たな知識やスキルなどを『内化』する(=自分の中に取り込む)、個人的な活動である。」これはいかなる状況でも、正しいだろうか。

多くの人が「イエス」と答えるのではないかと思う。ところが、おそらく社会人類学者のジーン・レイヴと教育理論家のエティエンヌ・ウェンガーは「ノー」と答えるだろう※2

彼らは学習を個人の「活動」ではなく、個人と組織との間に生じる「相互作用」と捉えている。この場合、知識を「インプット」するという観点はあまり重視されない。むしろ、インプットした知識を組織内に伝える、業務で活用するといった「アウトプット」を通じて、学んだ知識が深化、組織に定着することで実践的な知識になる、と考える※3

組織内の他者との交流、相互作用といったプロセスを通じて、自分も他者も成長し、その結果として所属している組織自体も変容するのが「学習」である——という発想は、一般的な学習観とは全く異なるものである。これは、一般的な学習概念と区別するため「状況学習」と呼ばれている。

「越境学習」という名の状況学習を

メンバーシップ型雇用の特徴であるOJT主軸の能力開発は、アウトプットを通じた学びという意味では「状況学習」に該当する。しかし、日々の業務を「学習教材」と捉え、能力開発を行っている企業は残念ながら少ない。単に仕事をやらせているだけでは効果は限定的となる。加えて、リスキリングは通常新たなスキルを獲得する活動のため、自分の所属組織内の状況学習では獲得が難しい。そこで、他社留学や副業などの「越境学習」という名の状況学習の重要性が高まっている。代表的な事例をいくつか紹介しよう※4

1)他社留学・留職(クロスフィールズ、ローンディール)

他社留学とは、他社業務等に一定期間従事する人材育成プログラムのことである。

人材紹介事業者のエッセンスは「他社留学」サービスを2017年2月に開始した。大企業の社員が自社に在籍したまま、ベンチャーで働くことを経験する仕組みであり、両者をマッチングしている。新規事業や組織変革の中心的な役割を担う人材を育成したいという大企業と、即戦力や組織づくりの支援を求めるベンチャー企業とを結びつけるマッチングサービスの草分け的存在がローンディールであり、「レンタル移籍」というサービスで2015年から開始している。

留職とは、主に海外の企業や団体に一定期間赴任して業務を行う取り組み※5を指す。新興国のNGOのメンバーとなり、本業の知見や技術を活用して社会課題の解決に取り組む活動などが該当する。NPO法人クロスフィールズは2011年5月から「留職プログラム」という事業を展開しており、パナソニックや日立製作所、ハウス食品、NECなどの大手企業が同プログラムを導入している。

2)副業推奨(エン・ファクトリー、レノボ・ジャパン)

近年、副業を認める企業が徐々に増えてきているが、副業を容認するのでなく、一歩進んで積極的に推奨する企業もみられる。オンラインショッピング事業を中心に手掛けるエン・ファクトリーは、2011年の創業以来、「専業禁止」を掲げ、複数の事業を掛け持つ「複業」を推奨している。他流試合を行ってもらうことを通じて、社員の自立や能力向上を促すねらいがある。

レノボ・ジャパンでは、副業を通して、社員が自ら社会の課題を見つけ解決する力を身につけることが社業にもプラスになると考え、業務に支障を与えないという条件で従業員に副業を推奨している。


一方、大きな企業組織であれば、社内でも他部署は全く異なる組織文化を持っている場合がある。このため、社内の越境学習も意義があると考える。以下は、その事例である。

3)ジョブ・チャレンジ制度(エプソン)

エプソンは2002年度より「ジョブ・チャレンジ制度」を導入し、チャレンジ意欲のある社員のキャリア開発を支援している。社内における人材流動性を高める効果が期待されている。同社ホームページによると「希望者が、自分が挑戦したい仕事、実績、専門・得意分野などを公開してPRし、獲得希望部門を募る制度。全社部門長以上にリストが開示され、採用したい人材があれば面接などを経て異動が決定する。事前に上司に伝えてから宣言」することが原則となっている。

4)キャリアチャレンジ制度(オリックス)

オリックスは2018年6月に、オリックスグループの国内主要9社において「45歳からのキャリアチャレンジ制度」を導入した。本制度は、45歳以上の部長職以下の社員が、自ら希望する部門と直接面談を行い、所属異動を実現できるFA(フリーエージェント)制度である。自らの強みや経験、仕事や生活に対する価値観を再認識した上で、新たな分野への挑戦や、これまでに培ってきたスキルを能動的に発揮する機会を提供することを目的としている。

5)社内副業制度(ダブルジョブ制度:ロート製薬、クロスジョブ制度:DeNA)

社内兼業制度とも呼ばれる。ロート製薬は「ダブルジョブ制度」という名称で2016年6月より実施している。就業時間の一部を使って、部門の枠を超えて従事するという制度であり、本人による申請ののち該当部門と協議の上、認可された者に適用される。一般に「兼務」は、会社や人事部門からの指示・命令に基づくが、本制度の場合は当事者の発意により行われるのが特徴である。自分の守備範囲を限定せず、他部門と積極的に関わる姿勢を重視するとともに、兼務で仕事にあたり、仕事の質の向上、個人の成長を後押しすることをねらいとしている。

DeNAが2017年10月から開始した「クロスジョブ制度」は、業務時間の最大30%まで自部署ではなく他部署の仕事を兼務できる制度であり、さまざまな仕事を経験することで社員の自己研鑽・自己実現をサポートする。

「他者」と「アウトプット」が自分をワンランクアップさせる

上記の事例からもお判りいただけるように、筆者がこのコラムで伝えたい「学習」は、一般的に想起されるよりもかなり広い概念である。リスキリングを実現するには、従来イメージの学習だけでは限界があると考えるためである。知識やスキルをいくら習得しても、もし実践で使えないなら意味はない。組織内における相互作用を通じて自分が変わり、他者も変わり、互いが所属する「組織=場」そのものも変わるような学習こそが、リスキリングの実効性を高め、成功に導くのではないか。

一方、状況学習の定義に当てはまらない「自己啓発」や「自己学習」などの個人的な能力開発活動に状況学習的な発想を持ち込むことも、学習効果を高める上では有用かもしれない。文字通りの「独習」では学びの深みは広がりに限界がある。そして何よりも、よほど意志が強くないと続かない。たとえば、どうしても読破したいが、内容が難しくて二の足を踏んでいる本があれば読書会を企画して、同僚や友人を巻き込む。あるいは、何らかのテーマや課題を設定して順番に発表しあう自主勉強会を主催してみるのもよい。ただ、そこまで行動できる人は実際少ないだろう。しかし、オンライン学習で講座を受講した後に、同じ講座の感想の書き込みを、これまでよりも真剣に読んだり、SNSで自分の考えを発信したりするのであればハードルは低い。

社会人の学び直しには、学校教育における学び以上に「他者」と「アウトプット」が意味を持つ。その上で「越境」は、自身の凝り固まった価値観や常識、考え方を客観視し、乗り越えることに当たる。同じ知識や情報を得ても、着目するポイントや捉え方は人それぞれである。他者と気づきや学びを共有しあうことで、より多様な価値観を理解できるようになったり、広い視点を獲得したりすることにつながる。

自分の考えを明確化し発信するとともに他者の考えから刺激を受け、相互にフィードバックしあうことで、考えはより一層深まり、磨き上げられるのである。

※1:経済産業省(2021年)「第2回 デジタル時代の人材政策に関する検討会」資料2-2 石原委員プレゼンテーション資料「リスキリングとは—DX時代の人材戦略と世界の潮流—」(リクルートワークス研究所 石原直子氏発表資料)
https://www.meti.go.jp/shingikai/mono_info_service/digital_jinzai/002.html(閲覧日:2022年11月1日)

※2:ジーン・レイヴとエティエンヌ・ウェンガーは「状況に埋め込まれた学習」という概念を提唱し、従来の学習観をがらりと変えた。ここで「学習」とは、ある状況に身を置き、他者と関わる行為、相互作用であると捉えられる。昔から、学習とは、一般に自ら書籍を読むことで、あるいは、他者から伝達されることで、知識が内化する過程と考えられてきた。一方、彼らは、中世の欧州で成立した「徒弟制」における親方と徒弟との関係に基づく学習に着目し、「実践共同体の一構成員として、まず周辺的な位置から参加して、徐々に中心に向かっていくこと」を「学習」の本質であると捉えた。

※3:ジーン・レイヴ&エティエンヌ・ウェンガー(1993年)『状況に埋め込まれた学習—正統的周辺参加』(産業図書)

※4:奥村隆一(2021年)「人的資本形成における能力開発手法としての自己学習の研究」(東京工業大学)

※5:ただし、国内のNPOや企業の業務に従事する活動に「留職」という表現が用いられる場合もあり、他社留学との区別は明確ではない。

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