マンスリーレビュー

2017年7月号

MRIマンスリーレビュー2017年7月号

巻頭言|2017年夏、あらためて「善隣友好」を考える

代表取締役副社長 企業・経営部門長 吉川 惠章
本号の特集は恒例の「内外経済の中長期展望」である。これを読みながら、20年近く海外に身を置いた者としてあらためて感じるのは「善隣友好」という言葉である。旧聞に属するが、2016年はブレグジット、米墨国境の壁など、これまで仲良くやってきたお隣との関係を根底から揺さぶる言動が起こり、それに賛同する層が一躍表舞台に出てきた。

翻って、わが国は隣国との関係改善に歴代内閣が腐心してきた歴史が、現在も進行中である。わが国の公的文書に初めて「善隣」の言葉が使われたのは、応仁の乱の前年の1466年に編纂された日本初の外交文書集「善隣国宝記」といわれる。同書では「善隣」の由来を、聖徳太子の「善隣為宝」の考えに求めているが、出典は『春秋左氏伝』にある「親仁善隣、国之宝也」である。

「善隣国宝記」編纂の契機は、足利幕府が日明貿易維持のため過去の外交文書を整理させたことと伝えられるが、聖徳太子の意思はここにも引き継がれ、商業上の交易による国益はあくまで副次的なもので、「精神文化の宝」を輸入することが第一義とされた。実態は朝貢であった日明貿易で幕府は莫大な実利を得た訳だが、少なくとも建前はそうであったらしい。

筆者が駐在した四つの国もそれぞれ善隣外交に努めてきたが、成功した国もあれば挫折した国もある。世界はグローバルでボーダーレスになることこそが未来を拓くと信じられた時期があったが、今はその揺り戻しが激しい。ローカルな視点で考えなければいけないことや、ボーダーを意識する瞬間が増えている。一方で新たな国境を主張するテロ集団が跋扈する。混乱する母国を命からがら脱出した難民が国境に阻まれる。

ボーダーを意識する今こそ「善隣友好」をあらためて考えたい。善隣友好とは、隣人や隣家と友情をもって交わることだ。隣国が脅威であったからこそ古人は善隣を図ろうとしたのだ。隣人や隣国を疑い恐れ忌避することからは建設的な関係は生まれまい。自国ファーストの偏狭な心がさらに状況を複雑化する。世界の国ぐに、世界の人びとの「善隣」の良識が今試されている。
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