マンスリーレビュー

2020年9月号

MRIマンスリーレビュー2020年9月号

巻頭言|富岳とはんこの国をどう変えるのか

常務研究理事 村上 清明
日本は二つの社会が併存する不思議の国だ。世界最高のスパコン富岳を開発できる技術先進国である一方、社会は工業社会が色濃く残るデジタル後進国でもある。なぜこんな事態になってしまったのか。政治家、既得権益者、抵抗勢力だけの問題ではない。非効率とはいえ、30年間、ほとんど成長がないにもかかわらず、失業率は低く、それが安全な社会の維持にも役に立ってきたことを考えれば、直接、間接にすべての国民が恩恵を受けてきたといえる。痛みを伴う急進的な変革よりも、国民が安定を選択したからだ。しかし、今回のコロナ禍で国民の多くが、はんこやファクスに象徴される日本の後進性に気付き、変わることの必要性を認識した。

社会変革には、破壊と創造が不可欠だ。しかし痛みは変革の必須条件ではない。今から150年前、日本は農業社会から工業社会への変革期を迎えていた。その一つに郵便制度があるが、それは飛脚制度の破壊を意味した。郵便制度の創設者の前島密は、協議の上、飛脚組合を陸運会社として再組織した。同社は、工業社会で物流という重要な役割を担い、内国通運を経て現在の日本通運に至っている。

今、日本は工業社会を脱し、リアルとサイバーが融合するSociety5.0といわれる社会へ変わろうとしている。デジタル技術による社会変革は、ありとあらゆる分野でリソースの利用効率を飛躍的に高め、人、時間、モノ、インフラなどに大量の余剰を生み出す。それをうまく活用できれば、今の社会では得られない豊かさを手に入れることができる。逆に、創造なき破壊は、大量の失業と格差を生む危険もはらんでいる。

では、成熟した日本に、150年前の物流に相当するようなものがたくさんあるのだろうか。答えは「Yes」だ。自由度の高い人生、災害や健康不安の解消、快適な居住、落ちこぼれを生まない教育、我慢せずとも豊かさを享受できる循環社会など、より豊かな社会に向けて必要なことは山ほどある。工業社会という過去の成功体験から脱することは容易ではないが、国民の意識が変わった今、変革を加速させる絶好の機会だ。
もっと見る
閉じる

バックナンバー