マンスリーレビュー

2019年7月号

MRIマンスリーレビュー2019年7月号

2019年7月号 巻頭言「未来を創る思考」

常務執行役員 シンクタンク部門長 長澤 光太郎
経済学では生産の3要素を土地、資本、労働であるとする。労働には知的労働と肉体労働があり、いずれ前者はAI、後者はロボットが代替するという議論が盛んである。もしそうなれば、疲れを知らない機械がノンストップで生産活動を行うので、いわゆる限界費用(追加生産に必要な追加費用)はゼロに近づいて生産効率は著しく高まるであろう。ではそのとき、人間の役割はどうなるのか。今、二つの論が出てきている。

一つは、人間の労働は価値が下がり、労働市場は縮退するというものである。労働の対価としての所得も減り、過剰生産・過少消費社会が到来しかねない。市場経済は現在の形では立ち行かなくなり、変質を迫られる。未来社会が経済的に成立するためには、労働市場を介さない所得の多様化が重要になる、という主張である。ベーシックインカムは、いわば生きているだけで一定額のお金をもらってよいとする考え方だが、それが注目を集めつつある背景には、上記のような未来像が醸し出す一種の不安感が見て取れる。

もうひとつは、AIやロボットがいくら普及しても、人間は必ず自らやること(それが従来型の労働とは限らない)を見いだしていくはずだという見方である。その論拠として、18~19世紀の産業革命の時代、手工業者などが職を奪われるとして大規模な機械破壊運動を起こしたにもかかわらず、長期的には1次・2次産業の省力化が進み、機械化がもたらした巨大な工業生産力を背景に新しい多くのサービス産業が生み出された歴史的事実が、よく引き合いに出される。

いずれも未来の話であるから、どちらが正しいとは言い難い。また両者は背反でもない。ただし未来社会を受動的にではなく能動的に考える人は、後者の思考を好むのではないか。19世紀の手工業者に20世紀に生まれた多くの職がイメージできないのと同じで、今の私たちに未来の人間の役割はそもそも見えない。その見えないものを形にしていく無数の営為が、結果として未来を創っていくはずであるから。
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